痛覚
生きることは苦しみを伴うこと
苦しみは、古代インドの言葉で「Dukkha (ドゥッカ)」と呼ぶ
ドゥは「困難」カは「埋められない虚空」の意味
人は求め続け、輪廻の洪水に満たされぬ想いを抱え込む
人は越えがたい欲望にさいなまれる…それは「渇愛」と呼ばれ
満たされない、渇き続けるこころを表す。
こころの渇きの正体とはなんだろうか?
それでも、ひとが生まれ変わるのはなぜだろうか?
こころを理解するために必要なことは
求めすぎるこころを理解するためには
ブッダは、こう語った。
① 言葉で「こころと身体の状態」を確認する(ラベリング)
② 身体の感覚を意識すること
③ 出来事(行動)と感情と思考をわける
苦しみはこころの反応
人は求めることで苦悩を感じる。
苦悩を手放すためには、「良い悪い」を判断しない
「正しい、正しくない」を判断しない。
目覚めたものは、見解や知識、意見に囚われない。
人は判断したがる。
人は意味を理解したがる。
正しく理解するものは、「自分が正しい」と判断しないもの
「群盲、象を評する」の逸話と同じく……
小川の水を掌ですくっても、そこに小川は存在しない。
(my)